171センチ90キロ、風俗嬢始めます(6)

ストーリー・コラム

前回の(5)では、

【170センチ越え・90キロで、

ダサくてブサイクで地味でデブな中年の、

とうの昔に女として見られなくなったオバさんが、

貧乏脱出のために熟女風俗嬢になり、

数か月で老いも若きも関係なく、男性をトリコにする人気嬢に変身し、

とある人物と運命の出会いを果たし、使命に気づく】

という、

トンデモストーリー、

風俗の仕事をはじめ、想定内の【不人気嬢】として、全然稼げなかったわたしが、

初めての満員御礼になり、

人気嬢となったために、いろんな目に遭うところまでお話ししました。

今回は、人気嬢となったわたしに襲ってきた、ショッキングな出来事をお話しします。


<前回のあらすじ>

入店してしばらくは、見た目が悪いという理由だけで、

お客様にぞんざいな扱いを受け続けた私。

しかし、あるときを境に人気が出始め、

ついに満員御礼、人気嬢の仲間入りを果たしました。

同じ店のキャストからの嫌がらせを乗り越え、ナンバー入りを果たした私は、

平日は会社員、休日は風俗嬢として、忙しい日々を送っていました。


171センチ90キロ、風俗嬢始めます(6)

取れない電話

とにかく、体がもつ間は、がんばって稼ぐ!もうダメだと思ったら休む・・・

そう決めたわたしは、

会社が休みの日はほぼデリヘルのシフトを入れ、

純粋な休暇と言える日は、月に1日あるかないか・・・

そんな「休みなく働く」日々を続けていました。

もちろん、平日の夜は、会社の昼休みや、帰宅途中の時間を利用して、

いろんな病院に着替えを持って行ったり、

同居の家族の介護をしていました。

しかし、

養母は「施設に入っているから」ということで、

着替えや食事など、あらゆる面で心配が要りませんでした。

誰かはかならず、見る人がいるから・・・と、

ある意味だいぶ安心していたので、月に1回くらいしか、面会に行っていなかったのです。

そんな8月のある日。

あいかわらずありがたいことにわたしは、

シフトをあげれば問い合わせがすぐにあり、

受付可能な時間になると、即予約完売となる状態でした。

お店に出勤したら、用意もそこそこに送迎してもらい、

いつものように1つのホテルに集められたお客さんのところをハシゴしていました。

最後のお客さんの接客をしている最中、何回か電話のバイブレーション音が聞こえました。

わたしは仕事の間は接客に集中するため、

店からの電話のみ音が鳴るようにし、

ほかのプライベートの電話は、バイブレーションのみ作動するようにしていました。

たとえプライベートの電話の着信に気づいても、接客中には取らないようにし、

リダイヤルもお客さんと一緒にいる間は、しないようにしていました。

お客様との時間の中で、別のプライベートの用事をすることは厳禁です。

お客様は、一緒にいる時間に別の用事をされることを、嫌うからです。

(「いいよいいいよ」と言ってくださったとしても、本音はそうではありません)

お客様をほっといて、ほかの用事をするのは、

「あなたとの時間より、あっちが大事」と宣言しているようなものです。

お客様はサービスだけでなく、嬢との時間をお金で買っているわけです。

買われた時間なので、基本的には買ってくれたお客さんのためにだけ使うのが本当です。

憂き目

その日のすべての接客を終え、

ドライバーさんの送迎の車の中で許可を取って、

ようやくだれから電話がかかってきたのか確認し、リダイヤルをしました。

養母が入居している、施設からの電話でした。

「お養母さんが危篤になりました」

ドライバーさんに話すと、気を利かせて、すぐに最寄りの駅に直接向かってくれました。

ドライバーさんが、お店に連絡をしてくれたのか、

お店の事務所からはスタッフさんが、預けていたわたしの私物と、精算金を持ってきてくれました。

いつもなら、各駅停車で2時間かけて帰宅するのだが、

その日は店長が精算のときに、いつもの交通費の倍の金額を計上してくれた。

5万円ちょっと、ありました。

そのまま、特急に飛び乗って、向かいました。

たまたまゲリラ豪雨となっており、

特急は、いつもよりゆっくり、速度制限をしながら走りました。

遅い時間だから、と、精算金と一緒に渡されたおにぎりがありましたが、

空腹なはずなのに、まったく食欲がわきません。

夜22時になって、やっと目的の駅に着きました。

施設は、特急停車駅のすぐそば、街の中にありました。

施設についたら、もう養母は冷たくなっていました。

親戚は私しかおらず、たった一人、介護職員さんの詰所の隣の部屋で、

白い布をかけられ、横たわっていました。

わたしは・・・

いままで、なにをしていたのだと、ぼうぜんとしました。

なんのために、わたしはきょうまで

見知らぬ男の体をなでたりさすったり舐めたりまたがったりしていたのだろうか。

それで得られたものが結局

「親の死に目に会えないという憂き目」なのだという現実を突きつけられ、

きゅうにすべてのことが意味のないことになった気がしました。

産まれてこのかた、ずっとお金がない自分の境遇を、ひどく呪うことしかできませんでした。

涙なんぞ、一粒も出ませんでした。

わたしの養母は、

わたしがこんな仕事をしているとは知らなかったはずです。

しかし、なんとなく、私が今やっていることを全部知っていて、

わたしが、こんな仕事を、これ以上やらなくても済むようにしたのではないだろうか・・・

私がこんな仕事をしなかったら、こんなに早く死んではいなかったのではないか・・・

後悔の念しか、ありませんでした。

お金がないまま、施設に入れず、貧乏この上なくても一緒に生きる道が、

あったのではないだろうか・・・

それでも、泣いて悲しみにひたるひまはありません。

妙に冷静でした。

養母の銀行口座が凍結される前に、かすかに残っていた預金を引き出しました。

3万円、ありました。

互助会に連絡をして、積立金を解約し、

自分の貯金も下ろして、葬儀屋さんと打ち合わせをし、

お寺に連絡をしました。

私はたったひとりで養母の葬式を上げました。

親戚がたくさんいたら、喪主は家に戻って、参列者の人たちのお世話・・・というのが普通ですが、

わたしには親戚と呼べる人はいません。

ですから、ずっと斎場で、すべてが終わるのを待っていました。

静かで新しく、静かな斎場でしたが、

どことなく、地響きのような、くぐもった音が聞こえます。

強いガス火の音です・・・

(なんということだ。先月末まで、話していることこそ脈絡のないものだったが、

杖もつかず歩いていたのに。

先週まで生きていた人が、今はただの・・・白骨だ。)

変わり果てた養母の姿を見てもなお、涙が出もしない自分を、

なんて冷たい人間なのだろうと思いました。

わたしは、小さい姿に変わった、白い風呂敷に包まれたまだあたたかいものを持ち、

家に戻るまえに、礼服のままで会社に行きました。

3日間自分の不在の間も皆が仕事を回せるよう、

指示書を作ってそれぞれに渡しました。

こんなときにまで、仕事を普通にできる自分・・・

四十九日の法要後、ご縁さんが、

「いくつに分骨しますか」

と聞いてきました。

わたしの実家には、先祖代々の墓がありません。

養母の実家には墓がありますが、実家を出ているので一緒に入れるわけにはいかないでしょう。

遺骨はすべて、京都の本山へ納めました。

葬儀をはじめ、もろもろの費用は、そのとき7割がた払いましたが、

3割足りませんでした。

不足分は後日という事になりました。

忌明け

養母が亡くなって、もう風俗で稼ぐ必要がないと思っていたのですが、

それは誤算でした。

もろもろの費用の残金を支払うには、手持ちが足りなかったのです。

おまけに、とっくの昔に亡くなっている、養父の借金が見つかってしまいました。

わたしは四十九日が終わってから、ふたたび出勤するようになりました。

正直、お金はあるに越したことはない。

例の出勤日のお礼日記を数日遅れで書き、

しばらく事情で出勤できない事を知らせていたため、

ありがたいことに、お客さんは待っていてくださり、

シフトを出したらすぐに満員御礼になりました。

明らかに長期休暇となることが前もってわかっている場合は、

一言写メ日記などでアナウンスをしておきます。

本指名のお客様がいる場合には、必須です。

とくに、3回以上本指名してくださったお客様はファンになっています。

お休みしている間はほかの嬢を呼ぶこともありますが、

待っていてくださる方が多いです。

帰ってきたお客様にすると、グッとくる、必ず感激してくださるあいさつがありますが、

それは別の記事でお伝えします。

(続きます)

朱実(あけみ)

人生がけっぷちの中年女性が一念発起、夜のお店に!

お茶引き不人気嬢が3か月で予約困難嬢にキセキの大変身!

人間不信になりメンタル崩壊した過去から立ち直り、
25キロ痩せ身も心も生まれ変わった私が、
これまでの経験から学んできたすべてのことを、お伝えします。

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